【PICK UP】HIGHLIFE★HEAVEN vol.31

2017.11.01.Wed

西アフリカ発のポピュラー・ミュージック、ハイライフを中心にアフリカン・ミュージックについてお伝えする本連載の31回目!

『夭逝』や『早世』といった言葉を聞いたことがあるだろうか?
これらは「才能があって、将来を嘱望された人」が亡くなってしまうことを意味する言葉だ。

有名なところだと、欧米あたりでは”27クラブ”と呼ばれる27歳でこの世を去ったロック・スター達。ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリンにカート・コバーン。エイミー・ワインハウスもここに含まれるらしい。彼らは人気絶頂期に様々な理由で惜しまれつつこの世を去ったことでもよく知られている。

27歳じゃなくても、33歳で亡くなったサム・クックや36歳で亡くなったボブ・マーリーなど、今なお健在だったとしたならば、どれほどの功績を残していたのか、皆目見当もつかない能の数々が、若くしてこの世を去っていった。

そして、ナイジェリアにも若くしてこの世を去ってしまい、その死後、後世のミュージシャンに多大な影響を与えたアーティストがいた。
その名もカージナル・レックスことレックス・ジム・ローソン。彼もまたボブ・マーリーと同じく36歳で亡くなった。

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・Rex Jim Lawson (1935–1971)

今でもネットで彼の名前を叩けば、たくさんの音楽を聴くことができるほどに彼は欧米諸国やアフリカでは評価が高い。レックス・ローソンが生きた時代はナイジェリアでもハイライフの最盛期であり、それこそ雨後のタケノコみたいにたくさんのアーティストが現れては消えていったはずだが、現在、配信などで手軽に聴けるのは、その中でも限られたアーティストのみ。レックス・ローソンもそのうちの1人だ。

前置きが長くなってしまったけれども、レックス・ジム・ローソンは、1935年にナイジェリアの南部の港湾都市であり、現在は”人民の天国”と言う愛称を持つクロスリバー州カラバルで生まれた。E.T.メンサー&ヒズ・テンポス・バンドの名曲『CARABAR O』のカラバルだ。両親はイボ族とカラバリ族(イジョ)にルーツを持っていた。

彼の音楽的キャリアのスタートは、クロスリバー州から少し西へと行ったリバーズ州(愛称は国の宝の基)のポート・ハーコート。ここでロード・エディソンのストレイト・メロディ・オーケストラでのバンドボーイとしての活動が彼の初めの第一歩だった。

すぐ後に彼は、その後のナイジェリアのみならず、世界的にその名を残す数々の凄腕ミュージシャン達と共に演奏することとなる。

ハイライフの巨星、ヴィクター・オライヤやボビー・ベンソン、クリス・アジロ、それから後にガーナのブロードウェイ・ダンス・バンドに参加するサミー・オボット。とりわけ、当時のヴィクター・オライヤの楽団はとても豪華で、ローソンの他にはフェラ・クティ、ヴィクター・ウワイフォ、デレ・オジョ、ロイ・シカゴあたりが一緒に演奏していたらしい。

それらの稀有な経験を得て、満を持してローソンが結成したのがリバース・メンと言う名前のバンドだった。直訳すると”川の男たち”。そのサウンドの素晴らしさと裏腹なバンド名の”イナタさ”に驚いてしまうところだが、ポート・ハーコートで結成したので、”リバース州の男たち”って意味だと思う。彼らは結成するや否や、ヒット曲を立て続けに生み出した。


・REX LAWSON & HIS RIVERS MEN – YELLOW SISI

前のめりなパーカッションのリズムと、後ろで鳴り響く美しい旋律と塩辛くもメロディアスなローソンの歌声が絶品の一曲。
この時期のガーナとナイジェリアのハイライフの違いの最たるものは、完全にそのリズムにあって、イボ族やヨルバ族などのドラムの影響を受けたナイジェリア産のハイライフには必ずと言って良いほどにパーカッションのソロパートがある。


・REX LAWSON & HIS RIVERS MEN – GBATE FA TE

割とブルージーな曲が多めの印象だったリバース・メン時代だったけれど、この曲なんかは後のメジャーズ・バンドへと通じるアップテンポなリズムと、ローソンのミュート・トランペットが最高の一曲。


・REX LAWSON & HIS MAYOR’S BAND – OSABA KORO (AFRICAN BLUES – KALABARI)

こちらはメジャーズ・バンド(MAYOR’S BAND or MAJOR’S BAND)へ改名後の一曲。言語はカラバリ語で歌われていて、曲はトラディショナルなアフリカン・ブルースをローソンがアレンジしたもの。

さて、レックス・ローソンは、とてもエモーショナルな人として知られていたらしい。ステージの最中に歌いながら、自らの曲に感極まって泣き出してしまうこともあったと言う。私はこのエピソードが大好きで、この話を知ってからますますもう二度と会うことのできないレックス・ローソンと言うシンガーへ思いを馳せるようになってしまった。永遠の片想いってやつだ。


・REX LAWSON & HIS MAYOR’S BAND – SO ALA TEMEM

彼が歌いながら涙したとされる曲がこちらだ。どんなことが歌われているのか、とても気になるところだが、未だに読み解くことはできていない。


・REX LAWSON & HIS MAYOR’S BAND – TAMUNO BO IBRO MA

こちらは筆者が一番最初に手に入れて、レックス・ローソン及びハイライフ・ミュージックにのめり込むきっかけとなった思い出深いナムバー。イントロのギターと少し間を空けて打ち鳴らされるクラーベとパーカッションのリズム。そして跳ねるようなリズムに乗って鳴らされるフックの効いた管楽器隊のメロが、当時の私にとってはどこかスカにも通じる美しさのように感じられたものだった。今でもそうだけど。そして、歌われるローソンのエモーショナルな歌声は、いつ聴いても極上以外のナニモノでもない。

そんな”カージナル”と呼ばれたレックス・ローソンは、1971年ライヴ・ショウの為に訪れていたナイジェリアのデルタ州(愛称は大きな心)にあるワリと言う都市で交通事故に遭い、そのまま亡くなった。享年36歳。

彼が率いたリバース・メン、後のメジャーズ・バンドは、彼の死後、デイヴィッド・ブルを中心としたプロフェッショナル・シーガルズと、それ以外のメンバーが結成したザ・ピーコックス・ダンス・バンドへとに発展し、どちらもミッド70’sからアーリー80’sにかけてのナイジェリアを彩るハイライフ・バンドへと成長していく。

エモーショナルな男、レックス・ローソンが残した功績は多大だったようで、前述の二つのバンドはもちろん、この当時に彼の死を追悼する楽曲が数多く残されている。その中でも筆者がとりわけ好きなアーティスト、イサーク・コロワレ・ベレムことI.K.ベレムが残した”レスト・イン・ピース”でお別れしよう。


・I.K.BELEMU & HIS MELODY DANCE BAND – R.I.P. REX LAWSON

2017.11.01.Wed

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