【PICK UP】HIGHLIFE★HEAVEN vol.30

2017.09.30.Sat

西アフリカ発のポピュラー・ミュージック、ハイライフを中心にアフリカン・ミュージックについてお伝えする本連載の30回目!

HIGHLIFE HEAVEN』としての地道な布教活動が根付き始めたのか、ほとんど国内のレコード屋では出回らなかったDECCAの10インチとかが、近頃少しずつ出回り始めているらしい。

お値段に関しては、そうやすやすと手を出せるほどではないみたいだけれど、それでも以前よりもよりたくさんの人が、気軽に買えるようになったんだと思うと嬉しい。

やっぱり海外通販とかオークションへの警戒心みたいなのは、一般的にはまだまだ強いだろうし、それゆえに好きモノのジャンル的なイメージがついている気もするので、幾分かその敷居が下がったような気がする。

そして先日、音楽友達がブラック・ビーツなどの10インチを見つけて度肝を抜かれつつ即買いしたそうで、改めてハイライフが内包する様々な音楽ジャンルの影響についての論議に華を咲かした。まさかそんな日が来るとは、と感慨深かった。

“ハイライフとは、1950年代から1960年代にかけて花開いた混血音楽であるー”

ってことを我々は前から言ってるワケだけれど、平たく言えばクロスオーヴァー、あるいはミクスチャー・ミュージックと言うことだ。

ジャズ、カリプソ、チャチャにメレンゲ、そしてルンバにツイスト、時代を上ればレゲエなどなど。土着のリズムが作り出すグルーヴに、それらの音楽性が結びついた時、とても豊穣でいて複雑、そして美しい音楽が生み出されていった。

とてもロマンチックな話じゃないか。そう、ハイライフはロマンチックな音楽なのである。

そんなロマンに満ちた音楽を体現していた数ある名ダンスバンド・ハイライフ楽団のうち、代表的な楽団の一つであるブロードウェイ・ダンス・バンドについて、今回は何曲か紹介していこうかと思う。

ブロードウェイ・ダンス・バンドは、E.T.メンサー&ヒズ・テンポス・バンド、E.K.ニアメ、キング・クワベナ・オニイナ、ブラック・ビーツなどと同世代。1958年にガーナの首都であるアクラの西、ケープ・コーストよりもさらに西の湾岸都市タコラディにて、ナイジェリア人のサミー・オボットと言うトランペッターを中心として結成された。当初はゼニス・ホテルのハウス・バンドだったらしい。その後、1960年の初期頃にガーナのナショナル・バンドとして認定された。

アシャンテイ王国のお膝下だったクマシを中心に活動していたスターゲイザーズ・ダンス・バンドと、よくペアで語られることが多い(実際にこの両楽団をカップリングしたスプリットLPもリリースされている)のだが、なんでだろうか。メンバーがかぶっていたからか。

スターゲイザーズの結成メンバーでもあるデロイ・”エボウ”・テイラーこと、ガーナ屈指のギタリストであり大スターのエボ・テイラーは、どちらのバンドにも所属していた。それからジョー・メンサーもそうだし、”ガーナのゴールデン・ボイス”と呼ばれたパット・トーマスも両楽団に関わっていた。


・BROADWAY DANCE BAND – GO MODERN

スターゲイザーズもそうだが、ブロードウェイもその後、他の楽団、バンドやソロ・ミュージシャンとして自身のバンドを率いて成功したメンバーがとても多い。名門楽団と呼ばれる所以だろう。

リーダーのサミー・オボットは、1960年代後期の当時、スウィンギン・ロンドンの真っ只中に席巻していたロンドンのハイライフ・シーンでも活躍。エディー・カンサーやエボ・テイラーも所属したブラック・スター・バンドや、フラッシュ・ドミンチィのスーパーソニックスの一員としても活躍した。

バンドのシンガーは、当時のガーナの売れっ子シンガーだったジョス・エイキンス。その後、オシビサを結成するマック・トント(同じくオシビサのメンバーとなるスターゲイザーズのテディ・オセイとは実の兄弟)、同時代のダンスバンド・ハイライフ楽団の一つ、モダネアーズ・ダンス・オーケストラにも所属していたデューク・ダッカー、そして、その後の1964年頃に加入すると、その後のブロードウェイ、そしてウーフル・ダンス・バンドの中心となっていったスタン・プランジに、ナイジェリアの巨星であるヴィクター・オライヤの楽団にも所属していたジョー・メンサーなど。まるで宝石箱のようなメンツだった。


・BROADWAY DANCE BAND – BEYE BUU BEYE BAA

そんなブロードウェイの代表的なキラー・チューンの一つがこれだ。

どこぞの欧米のビッグバンドの鮮烈なパフォーマンスかと錯覚する覚えるスウィンギンなイントロで始まるこのナムバーは、空気を一変させるイントロから、ガーナのアフリカン・ビートとクラーベのシンコペーションによる極上のハイライフへと美しく移行する。

やはり同時代の楽団であるメッセンジャーズ・ダンス・バンド、ザ・リパブリカンズや、超初期のスターゲイザーズの元メンバーが結成したワーカーズ・ブリゲイド・ナンバーワンなどと言った楽団にもこのようなスウィンギンなイントロだったり、シャッフルの要素を色濃く織り交ぜた楽曲が存在するが、それほど当時の彼らにとって良くも悪くも欧米から持ち込まれるジャズやカリプソなどの影響は大きかったのだろう。


・BROADWAY DANCE BAND – ASHEWO

対して、こちらはパームワイン・ミュージック由来のトロットロのギターと打ち鳴らされるパーカッションとミュート・トランペットが実に心地良いレイドバックした名曲。後半になるにつれてリズムが走ったり戻ったりするのも素敵。まさに『HAPPY HIGHLIFE』(※この曲の収録されているDECCAからリリースされた10インチのタイトル)を如実に示すようなナムバー。

ガーナの独立をきっかけとして、雨後のタケノコのように続々と出現したダンスバンド・ハイライフの楽団。それは恐らくどこの国の音楽シーンのどのムーヴメントでも起こっていることで、ある一つのムーヴメントの中で登場したバンドやアーティーストのうち、残念ながらその熱波が過ぎ去った後でも生き残り後世でも語り継がれるようになるのはほんの一部に過ぎない。

ブロードウェイは、その熱波の中でも生き残り、後世に名を残す方となった。と、個人的には思うが、その理由としては前回のランブラーズと同様に実に様々な音楽的素養を取り入れ、それを巧みに自分たちのサウンドへと昇華することができたからなんじゃないかと思う。

それをメンバーの才能だと言ってしまうことはとても月並みだけど、やはり才能だったと言わざるを得ない。


・BROADWAY DANCE BAND – DANCE MERINGUE

それを強く感じさせるのが、ピジン英語で歌われるこのダンス・ナムバー。驚くべきことに先ほどのスウィンギンな『BEYE BUU BEYE BAA』のAA面に収録されている。つまり両面ともにキラーなシングルと言うことになる。

いわゆるウェスト・インディーズ、アンティル諸島の国々が鳴らすメレンゲよりもずっとリズムは性急だし荒々しくどこかいなたい。それでいてとてもキャッチーで人々を踊らす。

ロンドンのナイトクラブなどで演奏を行っていたロード・キチナーなどトリニダードのカリプソ勢や、ガイ・ウォーレンやアンブロース・キャンベルなどのアフリカ勢が、ナイトクラブのお客さんを踊らせる為に演奏し始めたのが、ジャンプ・ブルースだったりツイストだったと言う。

このブロードウェイのメレンゲ・ナムバーが果たしてそうだったのかは定かじゃないけれど、理由はどうあれ時代を越えて、そしてジャンルの壁を粉砕して広く聴かれるべきナムバーであることは言うまでもないことだろう。


・BROADWAY DANCE BAND – GYAE SU

最後は、個人的にこの時代のダンスバンド・ハイライフの楽曲の中でもベスト3に入るほどの大好きなナムバーでお別れしよう。この曲のメロディはとにかく破壊力抜群。少しでもこの曲のメロディにグッときたアナタは、もうハイライフの虜である。

ブロードウェイ・ダンス・バンドは、後に名義の権利を巡る悶着を経て、ウーフル・ダンス・バンドへと変わり、その音楽性の幅をさらに広げることに成功。世界中にファンを増殖させることとなるのだが、それはまた別のお話です。

2017.09.30.Sat

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