【PICK UP】HIGHLIFE★HEAVEN vol.25

2017.07.04.Tue

西アフリカ発のポピュラー・ミュージック、ハイライフを中心にアフリカン・ミュージックについてお伝えする本連載の25回目!

いよいよ一年間を経過して、新しい書き手もお迎えしたこのコラムも実に25回目。回を重ねるごとに自叙伝的要素が強くなってるんじゃないか、と言うご指摘も頂戴しつつ今回もツラツラとやらせて頂きます。

さて、今回は1950年代から1960年代のいわゆる”ヴィンテージ“期のハイライフにおいて、E.T.メンサー&テンポス・バンドやレッド・スポッツ・バンド、スターゲイザーズ・オブ・クマシ(後のスターゲイザーズ・ダンス・バンド)などと並んで最重要楽団の一つであるキング・ブルースが率いたブラック・ビーツ・バンド(以下、ブラック・ビーツ)について。

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ブラック・ビーツの中心人物はキング・ブルースであり、彼がブラック・ビーツそのものだったと言っても過言ではない。彼はコンポーザーであり、アレンジャーであり、バンド・リーダーであり、トランペッターかつサキソフォン奏者、そして会計士であり公務員でもあった。

なんて多彩な人物なんだ!と、びっくり仰天である。これぞまさに逸材。

1922年にイギリス領ゴールドコースト(当時のガーナの名称)、アクラのジェイムズ・タウンに、不屈の男、キング・ブルースは生まれた。

母親は伝統的な女性シンガー・グループで歌うような女性だったと言う。音楽的素養のある家系だったんだろう。アクラの学校では音楽がカリキュラムの一部であり、イギリス占領時にはアメリカなどのビッグ・バンドにも傾倒していたらしい。

1947年に会計学の勉強の為にロンドンへ渡ったブルースだったが、当時の多くのアフリカ人と同様に社会的な場面では迫害を受けていた。後に彼が英国BBCに語ったところによると、

「当時、俺たちがボールルームで白人の女の子たちと踊ることは困難なことだった。だけど、そこで俺たちはボールルームで“ダンス”をするんじゃなくて、ボールルーム・ミュージックを“演奏”すればいいじゃないかって思いついたんだ」そうで、最初はトランペットを、続いてサックスを演奏し始めた。これが不屈の男の幕開けとなる。

1951年にガーナに戻ったブルースは、郵便局の銀行で働きながらもアクラ・オーケストラに参加。急成長する当時のハイライフ・シーンの中で、E.T.メンサー&ヒズ・テンポス・バンドと並ぶリーダーとなるべく、テナー・サックス奏者のサカ・アキーエとともに、いよいよブラック・ビーツを結成する。

「俺たちは優れたダンス・バンドの音楽に興味があったけど、それら全てのものをアフリカン・ビートで表現することに熱心だった」

“ブラック・ビーツ”と言う楽団名にはそんな思いも込められていた。


・BLACK BEATS BAND – MIKUU MISE MIBAA DON

この曲は1959年にDECCAからリリースされた彼らの10インチ『BLACK BEAT RHYTHMS』に収録されたナムバーで、初期の彼らの代表曲の一つ。何度か聴いてると、サビ部分を口ずさめるぐらいにキャッチーなナムバーで、1960年代以降、スウィング感を爆発させてアップテンポかつドライヴンに展開していくのに比べてミディアム・テンポなナムバーが並ぶ作中において、一番のダンス・ナムバーでもある。当時彼らが大人気となった所以であるギミックを用いたトランペットやホーン・アンサンブルは既に健在。

結成当時のブラック・ビーツは、総勢20名を数える大所帯バンドだったそうで、その中には後にランブラーズ・ダンス・バンドを結成するジェリー・ハンセンや、自身のバンドを率いてソロとなるボブ・コールやオスカモア・オフォリもいた。オフォリはトゥイ語やファンテ語の曲を提供し、ブルースはガ語の曲を提供したりもしたそうな。ちなみにガーナには50から70の言語があると言われています。

主にボーカルを担当していたのは2人で、マイク・ルイスことルイス・ワダワとフランク・バーンズ。朴訥とし深みのあるのがルイスで、高音で伸びやか、絡みつくようにメロディアスなのがバーンズ。どちらも力を持った優れたシンガーだった。そして“ザ・ブラック・バーズ”という名のコーラス隊が脇を固めていた。


・BLACK BEATS BAND – ENYA WO DOFO

1960年の10インチ『TROPICAL RHYTHM』の1曲目を飾るナムバー。震えるような、エモめのフランク・バーンズの歌声が素晴らしい逸品。


・BLACK BEATS BAND – LAI NOMO

こちらはシングルカットもされたナムバーで、ボーカリストはルイス・ワダワ。この頃のブラック・ビーツは、文字通りこの2人のボーカルの個性とメロディセンス、しっかりとアンサンブルを保つサックス陣と、ギミック多めで変則的なソロを吹くトランペットとの絡み合いが絶妙で、とても気持ち良く響いている。

ところが1961年を迎えると、ブルースとブラック・ビーツに激震が走る。前述した通り、ジェリー・ハンセンが9人ものメンバーを引き連れてブラック・ビーツから離脱。自身のバンドであるランブラーズを結成してしまった。

当然、ブルースは苦悩したことだろう。なにせこの当時でも彼は公務員職と掛け持ちで音楽活動を続けていたわけだし。そして、後のランブラーズは、やはりハイライフ・シーンを席巻するバンドとなるわけだから、ジェリー・ハンセン自身の才能も素晴らしかったに違いない。そんな大きな才能の離脱は、とても大きな痛手だったはずだ。


・BLACK BEATS BAND – WONMA MENKA

これは恐らく大量離脱騒動に揺れていたであろう1961年前後に録音された曲を収録した10インチ『BLACK BEATS ENCORES』のラストを飾るナムバー。『STARS OF GHANA』と言う名コンピレーションにも収録されている。とてもカラリとした印象を受けるナムバーで、メンバー脱退騒動があったことなどほとんどうかがえない。

高らかに鳴り響くトランペットと、ハンドクラップ必至のリズムにフランク・バーンズのエモーショナルなヴォーカル。思わず歌いたくなるキャッチーなメロディ。そして、ラストの展開はまさに圧巻な名曲で、50年代末期に比べると、格段に楽曲や演奏が進化しているのがよく分かる。

この頃のブラック・ビーツと、同時代の他の楽団との違いを考えてみた時に思うのは、やはりブルース本人が答えているようにその「アフリカン・ビート」にこだわったリズムにあるかもしれない。

このWONMA MENKAのラスト、ブレイク後のドラムロールからの展開はその後の独特なプログレ感を作り出すブラック・ビーツを予感させ、なおかつやはり独特なリズムを持ち、人気を博した言わば分家であるランブラーズにも通じている。ような気がする。

さりとて、不屈の男であるブルースは、9人のメンバーの離脱を乗り越え、新しいラインナップでブラック・ビーツを動かしたそうだ。


・BLACK BEATS BAND – YORYI

そんなメンバー交代後の1963年に録音された『SWEET SOUNDS OF THE BLACK BEATS』の冒頭を飾るのがこの超絶キラーなこの曲だ。

恐らくこの時期のダンスバンド・ハイライフの中で、ここまでライブ感があってなおかつ洗練されたホーン・アンサンブルはそうそうないんじゃないか。初めて聴いた時は特に度肝を抜かれたもんだった。これもハイライフなのか!
!と。


・BLACK BEATS BAND – DZEE AASHWE

こちらもすごい。『YORYI』と兄弟みたいな曲だが、曲中のブレイクの多さがとにかくすごい。

この後、衰退していくダンスバンド・スタイルのハイライフにおいて、この2曲は、ビッグバンドのスウィング・ジャズと、アフリカン・ビートを見事に融合させた、この時期のダンスバンド・ハイライフの完成形、あるいは理想型、一つの到達点に近い2曲と言っても過言ではないんじゃないかと思う。

さて、9人のメンバー交代の時に、看板シンガーだったルイス・ワダワとフランク・バーンズも抜けてしまったそうで、代わりにナイジェリア人のシンガーを迎えた。

シングルの中で、ダン・カルクー、レイ・テティ、アルフレッド・テティ、トーマス・タマクロイなるクレジットを確認することができるが、どの人がメインだったのかはわからない。上記の2曲も、ボーカル交代後の音源だと思われる。

最後にお送りするのは、恐らく上の2曲と同時期か、少し後ぐらいにPHILLIPSからリリースされたシングル。ポリリズミックな浮遊するベース・ラインと、サビ部分の展開がまるでトリップ・ミュージックのような、70年代から80年代初期のハイライフを予見させるような前衛的な楽曲。


・THE BLACK BEATS – NOKO TAMO NEKE

不屈の男と筆者が勝手に名付けたキング・ブルースは、1967年に首席秘書官(!)に昇進し、音楽活動からの離脱を余儀なくされたそうだが、1970年代にはバリスターズ、バロンズ、ボナフィーズと言った名前でバンドのマネージメントを行ったしていたらしい。つくづく不屈の男だな。

その後、1977年に公務員を退職。ガーナのミュージシャン組合の代表者を務め、1988年には「ガーナ文化への貢献」を称えられ国家賞を受賞。とりわけハイライフへの貢献度は偉大極まりないから、当然だろう。

ブラック・ビーツの音源は、40年間全世界に公開されることはなかったそうだが、キング・ブルースの75歳の誕生日を記念し、『GOLDEN HIGHLIFE CLASSICS』と言う名で1997年にRetroAficからリリースされた。これは、ブルース自身が再ライセンスの管理を熱心に行ったかららしい。彼のおかげで、今でも珠玉のハイライフ・ナムバーが聴けるのだから感謝しかない。

不屈の男、キング・ブルースは12人の子供を残して、1997年に糖尿病で亡くなった。75歳だった。

2017.07.04.Tue

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