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【PICK UP】 HIGHLIFE★HEAVEN vol.14

2017.01.16.Mon

西アフリカ発のポピュラー・ミュージック、ハイライフを中心にアフリカン・ミュージックについてお伝えする本連載の14回目!

遅ればせながら、明けましておめでとうございます!shochangと申します。
今年も思い入れたっぷりとハイライフを筆頭にアフリカ音楽についてツラツラと書かせて頂きますので、暖かい目でどうぞよろしくお願いたします。

さて、年末から年始にかけて内田樹さんの本を読んでいた。そこでは『呪詛』と『祝福』について語られている章があって、とても興味深く読ませてもらった。

リードギターはサミー・クロッパー。
リーダーでありボーカリストの一人はアイザック・イエボア。
ベーシストがスリム・マヌ。
もう一人のボーカリストはアンソニー・イエボア。
ドラマーがカンフー・クワク。
ヨウ・アサンテとアイム・ベディアコはコンガを叩き、
ダニエル・アサレはマラカスを。
アビー・メンサーはキーボードを弾いた。

またある時はトミー・ドジズがキーボードで、サックスにコフィ・アブロクワア。
トランペットをポール・ノヴォ。アレックス・ジュビン…。

以上は、ある時代の“ヴァーサタイル”・ヴィザヴィ・ダンス・バンドのメンバー達である。

ヴィザヴィ(英語で言うフェイス・トゥ・フェイスの意味らしい)・ダンス・バンドは、ハイライフのみならず、今なお世界中のアフリカ音楽ファンの胸を熱くさせてやまないガーナを代表するバンドの一つだ。

1970年代の中頃から1980年代にかけて活躍した彼らのスタイルは、ギターバンド・スタイルのハイライフや、アフロ・ファンク、アフロ・ビート、そしてラテン・ミュージックまでを飲み込んで、圧倒的なグルーヴで、他に比類することのできないオリジナリティに溢れたサウンドを作り上げた。

彼らは同じ時代の、やはりハイライフを代表するアーティストの一人でもあるK.フリンポンのバックバンドとして、クバーノ・フィエスタス名義で演奏していて、ボーカリストのアンソニー・イエボアは恐らく後のカカイクズ・ナンバー2・ギター・バンドのリーダーとなる。

ギターのサミー・クロッパーとドラムスのカンフー・クウェクは、ヴィザヴィと並んで70年代を代表するハイライフ・バンドであるザ・パワフル・ビリーヴァーズのメンバーでもあった。

つまり、1970年代のハイライフを語る上で、絶対に避けて通れないのがこのヴィザヴィ・ダンス・バンドだ。

リーダーはボーカリストでもあるアイザック・イエボアだったようだが、実質的なリーダーはギタリストのサミー・クロッパーだったようで、さしずめ裏番長みたいな感じだったんじゃないだろうか。

ヴィザヴィの中でも個人的に大好きなのがこの“MINHYIA NA MAHWEHWE”と言うナムバーで、祝祭感グンバツのイントロのファンキーなホーンについ耳が持っていかれがちだが、よくよく聴いてみると、裏で弾き倒しているサミーのギターがもの凄かったりするのだ。

初めて聴いた時は、正直、情報量が多すぎて何が何だかわからなかった。でも、サミーの度肝を抜かれるほどにトロピカルなギターの音に気づいて、他の部分も聴き分けてみると、ベースにしてもドラムにしてもとんでもないグルーヴであることがよく分かる。

ヴィザヴィよりも、よりファンク色が増したのがこのパワフル・ビリーヴァーズの大名盤『TIME FOR HIGHLIFE』の冒頭を飾る”AWARE TESE AKOM”で、このギターを弾いているのもサミー・クロッパーだ。

よくよく聴いてみると、先ほどの“MINHYIA~”から通じるサミーらしいラテン風味と言うか、トロピカルな感じがよく出ている。これ、たぶんもっといろんな音楽のギターを聴いた人ならばもっとうまく説明するんだろうけど、いかんせんできない。いかんせんできないが、このギターが凄いことはよく分かる。

ブルックリンのレーベルであるマコッサが、サミー・クロッパー&ヒズ・ワイアー・コネクションズ名義でサミーのソロ・アルバムをリイシューしていたりもするし、1970年代後半以降のモダン・ハイライフ(正確にはネオ・モダン・ハイライフとでも言うべきか)のバンドのクレジットを見ると、サミーの名前をよく見かける事が出来て、彼はとにかく売れっ子だったようだ。

アフリカの作品には、きちんと演奏者のクレジットが書いてあるのもあるが、大抵は書いていない。だから、名義の人がコンポーザーなのかリーダーなのか、はたまたヴォーカリストなのかどうかさっぱり分からないことも多いが、海外のアフロ・ファンの中にはそんなメンバー不明の作品でも、ギターの音を聴いただけで「これはサミーの音だっ!」と分かるサミー・クロッパーフリークがいるそうで、近年での彼への評価は素晴らしいものになっている。

そんなサミー・クロッパーは今でもご存命だそうだ。

これだけ音楽の才能に溢れた人間なのだから、今でもガーナでなくてもロンドンとかニューヨークとかでギターを弾いてるんじゃないか。そう思ってしまうのは、ガラパゴス国家の国民の身勝手な思い込みと言うもので、彼は悲しいかな、音楽活動はしていないらしい。

エボ・テイラーと同じく、サミー・クロッパーが近年再評価され始めたきっかけはUKのサウンドウェイが2009年にリリースした良質コンピ『Ghana Special: Modern Highlife, Afro-Sounds & Ghanaian Blues 1968-81』等によるところが大きいはずだが、リリースにあたりサウンドウェイのマイルスがサミーに会いに行ったところ、なんと彼は小学校の警備員さんか用務員さんをしていたらしい。あれ?もしかしたらエボ・テイラーと間違えてるかもしれないな。だとしたらすみません。

いずれにしても、当時の面影もないサミーは、ヴィザヴィで活躍していた頃の記憶がほとんど無くなっていたと言う。

ドイツのアフリカものの再発レーベルであるヴードゥー・ファンクを運営するフランク・ゴスナーのアフリカでのレコ堀生活を追ったドキュメンタリーの中で、ベナンの名バンドであるオルケストル・ポリリドゥモの元ベーシスト、ギュスターヴに会いに行き、当時の彼らのレコードを見せるシーンがあるけれど、なんとギュスターヴはパッケージされた自分たちレコードを見たことがなかったらしい。自分のレコードを見ながら涙ぐむ彼の姿は、とても悲哀に満ちていた。

冒頭の話へと戻ろう。件の本の中で内田氏は、『呪い』のはびこる現代において、必要なのはその対義語である『祝福』なんじゃないかと言っている。

ここで言う『祝福』とは、目で見たその物を列挙していくこと。風にたなびく木々や、陽光に輝く川面、紅葉、積雪、夕暮れ、それらを写生することだと言う。

感じた事をありのままに伝える事。

まだ生きてるけど、それこそが、時代とか生まれた国さえ違えばもっともっと栄華を誇っていたはずのサミー・クロッパーの呪詛の魂を鎮魂する事になるのだとすれば、マイルスやフランク、アナログ・アフリカのサミー、今なお、そしてこれからもアフリカ音楽を愛し掘り続ける自分や自分の友人、諸先輩がたの仕事は、時代の悪戯で表舞台に立つことができなかったアフリカのミュージシャン達の魂を、少しでも鎮めることができるのかもしれない。あったかも知れない未来を生きることで。

それならばこそ、今年も彼らにどんどん祝福を与えていこうと思う次第である。

2017.01.16.Mon

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