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【PICK UP】 HIGHLIFE★HEAVEN vol.4

2016.08.15.Mon

西アフリカ発のポピュラー・ミュージック、ハイライフを中心にアフリカン・ミュージックについてお伝えする本連載の4回目!!

先日の『HIGHLIFE HEAVEN & TOKYO SABROSO present WADA MAMBO’S AFRO LATIN SPECIAL』にお越しくださいました皆様、この場をお借りしてお礼を言わせて頂きます。本当にありがとうございました。

当日、いろんな事情で来ることができなかった人がもしいましたら、当日のライブの1曲目を聴くこともできます。映像はないけれど、その場で観ていた全ての観客にもたらされた高揚感と良い緊迫感、そしてそれを受けたワダマンボ・スペシャル・バンドの演奏を少しでも感じてもらえるはずです。
詳しくはこちらへ
https://soundcloud.com/shochang-highlife-heaven/wada-mambo-afro-latin-special-band-jin-ma-jin-ma-orchestre-du-baobab

そしてハイライフは続いてゆく。

さてさて時は1950年代から1960年代。
独立の気運に後押しされ、ガーナの人々のポピュラー・ミュージックとなったハイライフには、大きく分けてダンスバンド・スタイルとギターバンド・スタイルとがありました。

今回はそのうちダンスバンド・ハイライフについてのお話。

ハイライフが出来たてホヤホヤだった頃は、黒人エリート層を相手に開かれたパーティーで主に演奏をしていたそうで、そのパーティーに入れない人々は、さながらソールド・アウトしたパンクのライブに押し寄せたキッズたちの様に、建物の外でその甘美な音色に耳をそばだてていたと言います。

そんなある日の夜、たまたま通りかかった人が、ハイライフに魅了される人々にこう尋ねた、

「なにこのサウンド最高じゃん!なにこれ?」

そしてある人がこう言った、
「うーんとね、ハイライフ(=上流階級)!!」

…ウソかホントか、ハイライフと言う名称の語源には諸説あるようです。

さて、そんなハイライフは、前にも書いた様にガーナの独立前後の1950年代後半から1960年代初期において大衆音楽として花開きます。
その音楽性は、民族的なパーカッションのリズムを基に、カリプソ、マンボ、メレンゲ、ソン、それからスウィングとかジャンプ・ブルースなんかを飲み込んでいた混血音楽。それらを演奏する為に、自然とバンド編成もたくさんの管楽器を擁立していき、ビッグバンド・スタイルへとなっていったわけです。その姿は、想像するだけで実に優雅で絢爛豪華。当時のライブ映像はほとんど、写真も少ししか出回っておらず歯がゆいところでしかないですが、それはそれは壮観だったことでしょう。
しかし、その壮観さ、絢爛さこそが、後のダンスバンド・スタイルの衰退と、ギターバンド・スタイルの隆盛へとつながる理由の一つとなるわけなんですが、それはまあまた別の機会に。

そんなダンスバンド・ハイライフ。やはり代表的なのは”ハイライフの王様”であるE.T.メンサーと彼のテンポス・バンドで、彼らのキャリア初期のヒット曲である”DONKEY CALYPSO”や、”ALL FOR YOU”は、カリプソやジャズの影響が色濃く、甘美なホーン隊とキャッチーなメロディ、洗練されたアレンジが、大いにウケたそうです。

  • E.T.MENSAH & HIS TEMPOS BAND – ALL FOR YOU
  • この曲はあまりにもキャッチーなので、時々夢の中でも流れますし、酔ってる時は一緒に唄います。

    一つのヒットが生まれれば、それに続くフォロワーが生まれるのは古今東西変わらぬ世の常なのか、同時代には数々の楽団が生まれ、たくさんのヒット曲が生まれました。

  • BLACK BEATS BAND – MIKUU MISE BAA DON
  • E.T.メンサーとほぼ同世代のキング・ブルースが率いたブラック・ビーツのキャリア初期のナンバー。

  • BROADWAY DANCE BAND – BEYE BUU BEYE BAA
  • 後にガーナのフェラ・クティと呼ばれ大スターとなるエボ・テイラーが在籍していたウーフル・ダンス・バンドの前身ブロードウェイの、シャッフルなイントロが極上のキラーナンバー。

  • THE MESSENGERS DANCE BAND – HIGHLIFE SHUFFLE
  • ジョージ・リーが率いたメッセンジャーズ。曲名通りのシャッフル・ナンバー。上記のブロードウェイと同様にジャズ色が強い。

    ちなみに、ブロードウェイとメッセンジャーズの2曲は、ともにジョシュ・アイキンスと言うシンガーが歌っており、1960年から1963年ぐらいまでのダンスバンド・スタイルの楽団ではジョシュはたくさん歌っていた売れっ子シンガー。彼の声はどこか温かみがあり、メロディ・センスに溢れていて聴けば聴くほどに虜になります。

  • RAMBLERS DANCE BAND – OBRONI WOWEU
  • ブラック・ビーツに在籍していたジェリー・ハンセンが率いたランブラーズの1963年頃のナンバー。タメの効いたファンキーなホーン・アンサンブルと、リズム、そしてこれを聴いた当時の人々が、狂った様に声を挙げていたんじゃないかと想像させる掛け声が最高。

  • AFRICAN TONES – S.D.P SPECIAL
  • こちらはほとんど情報が残されていないアフリカン・トーンズ。この曲もブラス・バンドの香りとマーチング・バンドの面影を残したキラー・チューン。詳しいことはわかりませんが、アシアクワ・ブラス・バンドなどへも影響があったかなかったか。

    と、この様に一口にダンスバンド・スタイルと言っても、その音楽性や独自性は千差万別。まさに”定義付け”できない。何度も言いますが、それこそがハイライフの魅力なのですよ。

    1950年代後半から1960年代初期、そして1965年ぐらいまでの間でダンスバンド楽団も、その音楽的影響やテンポ、演奏の洗練さから使用する楽器に至るまで、めまぐるしく変遷をしていき、それを順を追って聴いていくと、当時のガーナの音楽界のクリエイター達の活気や熱意を垣間見ることができるのです。
    そしてなによりも彼らの音楽に対する情熱と、貪欲さ、そして演奏技術の素晴らしさに、驚嘆せずにはいられないのです。

    この後、1960年代の中期頃を境に、ダンスバンド・ハイライフは衰退してゆきます。
    そして、それに取って代わるのがギターバンド・ハイライフでした。
    その変遷には様々な理由があり、事情があった。そして、ギターバンド・スタイルの奥深さとその後の発展は、実に興味深いものでした。

    そのあたりのお話は、また次回にでも。


    2016.08.15.Mon

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